インペリアル・ポーセレンの歴史【1825 - 1894 ニコライ1世~アレクサンドル3世の歴史上重要な時代】



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工場存亡をかけた歴史上重要な時代となります。









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アレクサンドルとニコライ1世時代(1825-1855)には、ペテルブルクのほぼすべての宮殿のために食器セットが作られ、


それぞれ際立つ特徴を持っていました。


その中には、「ロシア」を表すものもありました。


工場には、古代ロシアに詳しい考古学者ソンツェフの構想で作られた、


モスクワのクレムリン宮殿とコンスタンチン・ニコラエヴィチ大公のための食器セットがありました。

 



ニコライ陶磁器は、絵画が特徴的でした。


花瓶には、エルミタージュ美術館のコレクションの中から、


レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ティツィアーノ、コレッジョ、ムリーリョなど


巨匠の複製画が描かれていました。複製画は、驚くほど正確で繊細に描かれていました。


絵具の多彩さ、純度、輝きそのすべてにおいてオリジナルと合致していました。


花瓶や陶板に描かれた肖像画やイコン画、細密画も発展しました。


ロンドン、パリ、ウィーンで開催された世界博覧会では、陶磁器の絵画において最高位を獲得したのでした。

 



1844年、皇帝陶磁器工場の百周年には、冬の宮殿に保管されていた品々を補充し、美術館を設立しました。


(アレクサンドル3世の時代には、同一製品を二つずつ作り、ひとつは宮殿用に、もうひとつは美術館に、と決められていました) 

 



アレクサンドル2世は前任者たちとは異なり、工場に対して興味を示しませんでした。


1870年代には、工場の生産は縮小され、


さらにパブロ1世の時代に作られた復活大祭やクリスマスの宮殿への贈り物だけを残し、


工場は、宮殿の保管庫に食器セットの補充を続けました。


製品の大きさは小さくなり、仕上げや装飾も非常に控えめになりました。様々な形状も基本的には古いヨーロッパや東洋のコピーでした。


「役に立たず儲からない」事業を閉鎖するという考えも出始めました。



工場を救ったのは、


『皇帝にとっては、・・・・・・皇帝陶器工場が技術的にも芸術的にも最良の環境に置かれ、


すべてのこの産業部門の働き手のために、皇帝の名を冠した立派な模範となることが望ましいのだ』


という、アレクサンドル3世の言葉でした。

 



工場では、食器セットの大規模な制作関連事業が始まりました。


絵柄は、皇帝自らが修正を手掛けた『戴冠式』やバチカンのラファエロの開廊をモチーフにしたものです。


皇帝自身の個人的好みや愛着が影響し、工場が芸術的方向に向かったのでした。


皇帝は、中国や日本の花瓶、テラコッタ、色付きの釉薬、


コペンハーゲン王立工場が流行させた釉薬のかかった絵画を大変好みました。


釉薬のかかった絵画が皇帝陶磁器工場に広く用いられたのは、


皇帝の妻がデンマークの王女マリヤ・フョードロヴナだったということもあります。



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by chaika-imperial | 2013-11-21 16:12 | インペリアル・ポーセレンの歴史