2013年 11月 21日
インペリアル・ポーセレンの歴史【1744年 女帝エリザヴェータによる工房の創設】
インペリアル・ポーセレンが創設された1744年から現在までの工房の歴史を
何度かに分けてブログでご紹介していきたいと思います。
よろしければおつきあいを
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1744年、ピョートル大帝の娘で後の女帝エリザヴェータの命により、
ロシアでは初めての、そしてヨーロッパでは3番目となる磁器窯「皇帝磁器窯」が
サンクト・ペテルブルグに創設されました。
まさにこの場所で(写真)、才能あるロシア人化学者ドミトリー・ヴィノグラードフ(1720-1758)が
《ホワイトゴールド》の製法を発見したのです。
彼は、歴史上初めて、現代の陶磁器化学の概念に最も近い陶器生産における学問的文書を作成します。
ヴィノグラードフによって作られた陶磁器は、品質においてマイセンの磁器に劣らず、
原料の比率においても中国製陶器に近づくものとなりました。
最初の数年間ネフスキー陶器工房では、女帝エリザベータが外交上の贈り物にする、
煙草入れのような小さな製品をつくっていました。
1756年にヴィノグラードフが大きな焼物窯を設置してからは、より大きな製品を作るようになります。
女帝個人が所有する自家用茶器セットが初めて作られたのもこの頃です。
1750年代には、人や動物の姿の陶器の「人形」を作るようになりました。
陶器の生産量の増加にもかかわらず、ごく内輪の側近たちだけのものでしかありませんでした。
18世紀には、陶磁器はほかの高価な品々と並び威信を有するものとして、
特別な宝庫で保管され、その後数十年を経てからテーブルに出されたのでした。
事業の状況や芸術的発展に関しては、何よりも宮廷、
その第一に君主の気質や欲求に依存するところが大きかったのです。
1750年代には、人や動物の姿の陶器の「人形」を作るようになりました。
陶器の生産量の増加にもかかわらず、ごく内輪の側近たちだけのものでしかありませんでした。
18世紀には、陶磁器はほかの高価な品々と並び威信を有するものとして、
特別な宝庫で保管され、その後数十年を経てからテーブルに出されたのでした。
事業の状況や芸術的発展に関しては、何よりも宮廷、
その第一に君主の気質や欲求に依存するところが大きかったのです。
つづく
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by chaika-imperial
| 2013-11-21 15:36
| インペリアル・ポーセレンの歴史